元祖大師御法語 前編
第二十一 精進
或は金谷の花を、もてあそびて、遅々たる、春の日を、むなしく、くらし、或は南楼に月を、あざけりて、漫々たる、秋の夜を、いたずらに、あかす。
或は千里の雲に、はせて、山のかせぎを、とりて、歳をおくり、或は万里のなみにうかびて、うみのいろくずを、とりて、日をかさね、或は厳寒に、こおりをしのぎて、世路を、わたり、或は炎天に、あせをのごいて、利養をもとめ、或は妻子眷属に、纏われて、恩愛の、きずな、きりがたし。
或は執敵怨類に、あいて、瞋恚のほむら、やむ事なし。
惣じて、かくのごとくして、昼夜朝暮、行住坐臥、時として、やむ事なし。
ただほしきままに、あくまで、三途八難の業を、かさぬ。
しかれば、或る文には、一人一日の中に、八億四千の念あり。
念々の中の所作皆是れ三途の業といえり。
かくのごとくして、昨日も、いたずらに、くれぬ。
今日も又むなしく、あけぬ。
いま、いくたびか、くらし、いくたびか、あかさんとする。
あるいは金谷園にも等しい花見の名所で桜を愛でながら長い春の日を虚しく暮らし、あるいは南楼で見る月と同じ名月を鑑賞しながら秋の夜長を徒に明かしてしまう。
あるいは千里の雲の中にある谷間を馳せ巡って鹿を追いながら年を送り、あるいは波涛に舟を浮かべて魚をとって日を重ねている。
あるいは厳寒に氷を割って世渡りとし、あるいは炎天に汗を拭って利得をはかる。
あるいは妻子眷属に纒(まと)われて恩愛の絆を断ち難く、あるいは怨敵に会って怒りの炎消えることがない。
すべて、このようにして昼夜朝暮を過ごし、行住座臥に止まることがない。
ただ己れが欲するままに毎日を送り、あくまでの地獄、餓鬼、畜生の世界におちる行為を重ね、仏法を聞き得ない境遇におちることになる。
だからこそ経文には1日に8億4千に思いが去来し、その1つ1つの振る舞いは地獄、餓鬼、畜生の世界におちる行いであると説いているのである。
こうして昨日も徒に暮れてしまい、今日もまた虚しく朝を迎えた。
これからも同じように1日を暮らし、幾日虚しく夜を明かして朝を迎えてゆくのであろうか?