元祖大師御法語 前編
第六五劫思惟
酬因感果の、ことわりを、大慈大悲の御心のうちに思惟して、年序そらに、つもりて、星霜五劫に、およべり。しかるに、善巧方便を、めぐらして、思惟し給えり。しかも、われ別願をもて、浄土に居して、薄地底下の衆生を、引導すべし。その衆生の、業力によりて、うまるるといわば、かたかるべし。われ、すべからく、衆生のために、永劫の修行を、おくり、僧祇の苦行を、めぐらして、万行万善の果徳円満し、自覚覚他の覚行窮満して、その成就せんところの、万徳無漏の、一切の功徳をもて、わが名号として、衆生に、となえしめん。衆生もし、これにおいて、信をいたして、称念せば、わが願に、こたえて、うまるる事を、うべし。
阿彌陀仏は修行によって果報を受ける道理の上にたって、しかも慈悲のみ心から凡夫往生の道を思惟し、年数を重ねて修行し、五劫という年月を経て仏となり給うた。
しかも凡夫の誰でもが修行できる教法を思惟し給うた。
そのために次のように誓い給うた。
「われは本願を成就して極楽浄土に住し、どのように劣った凡夫でも導いて往生させるであろう。
もし善根を積んだ果報によって往生できるとすれば、恐らく凡夫は往生し難いであろう。
われはいかなる凡夫でも往生できるように期間がいかに長くとも修行を続け、どのような苦行でも励み勤め、一切の修行と一切の善行を完遂して功徳を得るであろう。
菩薩としての自覚覚他の修行を成就し、それによって仏となって一切の完全無欠な徳を具え、一切の功徳をわが名号の中に具えた上で人々に念仏を唱えさせるであろう。
もし人がわが願いを深く信じて念仏を唱えれば、その者はわが願いに応えて往生できるであろう。