元祖大師御法語 前編
第八万機普益
浄土一宗の、諸宗にこえ、念佛一行の、諸行に、すぐれたりと、いう事は、万機を摂する、かたをいうなり。理観、菩提心、読誦大乗、真言、止観等、いずれも、佛法の、おろかに、ましますにはあらず。みな生死滅度の、法なれども、末代に、なりぬれば、ちから、およばず。行者の、不法なるによりて、機がおよばぬなり。時をいえば、末法万年ののち、人寿十歳に、つづまり、罪をいえば、十悪五逆の罪人なり。老少男女の、ともがら、一念十念の、たぐいに、いたるまで、みなこれの摂取不捨の、ちかいに、こもれるなり、このゆえに、諸宗にこえ、諸行に、すぐれたりとは申すなり。
浄土宗が諸宗よりも勝れ念仏の一行が諸宗より勝れているということは、どのような者でもすべて救われるということである。
各宗の修行には心を静めて真理を観想したり、悟りを求める心を起こしたり、経典を読誦したり、真言陀羅尼を唱えたり、精神を統一したりする方法があるが、何れも勝れた仏法であって疎かにしてはならない。
みなこの世で迷いの世界から抜け出して悟りを求める修行であるが、末法の世となったために修行者の力が及ばないのである。
修行者が如法に修行できないのは、その者が能力が足らないからである。
今の時代をみると末法万年の後に人の寿命が十歳に縮まったような時代であり、罪からいえば誰もが十悪五逆を犯した罪人にも等しいのである。
しかし、このような時でも老若男女を問わず、念仏を唱えさえすれば一念十念の念仏しか唱えなかった者に至るまで、一人も漏れることなく仏の本願力によって往生できる。
こうしたわけで浄土宗は諸宗より勝れているし、念仏の一行は諸行より勝れているというのである。