野母崎樺島町 光明山摂取院 無量寺

法然上人の御法語

法然上人御法語

元祖大師御法語(がんそだいしごほうご) 後編(こうへん)
第十(だいじゅう) 深心(じんしん)
はじめには、わが()のほどを(しん)じ、(のち)には(ほとけ)(がん)(しん)ずるなり。 その(ゆえ)は、もし、はじめの、信心(しんじん)をあげずして、(のち)信心(しんじん)を、(しゃく)(たま)わば、もろもろの、往生(おうじょう)をねがわん(ひと)、たとい、本願(ほんがん)名号(みょうごう)をば、となうとも、みずから(こころ)に、貪欲瞋恚(とんよくしんに)煩悩(ぼんのう)をも、おこし、()十悪破戒等(じゅうあくはかいとう)の、罪悪(ざいあく)をも、つくりたる(こと)あらば、みだりに、自身(じしん)を、かろしめて、()のほどを、かえりみて、本願(ほんがん)(うたが)(そうら)わまし。 いま、この本願(ほんがん)に、十声一声(じっしょういっしょう)までに、往生(おうじょう)すというは、おぼろげの(ひと)にはあらじなぞと、おぼえ(そうら)わまし。 しかるに、善導和尚(ぜんどうかしょう)未来(みらい)衆生(しゅじょう)の、このうたがいを、おこさん(こと)を、かんがみて、この(ふた)つの(しん)をあげて、我等(われら)がいまだ、煩悩(ぼんのう)をも(だん)ぜず、罪業(ざいごう)をも、つくる、凡夫(ぼんぷ)なれども、ふかく彌陀(みだ)の、本願(ほんがん)(しん)じて、念佛(ねんぶつ)すれば、一声(いっしょう)にいたるまで決定(けつじょう)して、往生(おうじょう)するよしを、(しゃく)したまえる。 この(しゃく)の、ことに、(こころ)にそみて、いみじくおぼえ(そうろ)うなり。
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