元祖大師御法語
(
がんそだいしごほうご
)
後編
(
こうへん
)
第二十五
(
だいにじゅうご
)
護念増上縁
(
ごねんぞうじょうえん
)
問
(
と
)
うて
云
(
いわ
)
く、
摂取
(
せっしゅ
)
の
益
(
やく
)
を、こうぶる
事
(
こと
)
は、
平生
(
へいぜい
)
か、
臨終
(
りんじゅう
)
か、いかん。
答
(
こた
)
えて
云
(
いわ
)
く、
平生
(
へいぜい
)
の
時
(
とき
)
なり。 そのゆえは、
往生
(
おうじょう
)
の
心
(
こころ
)
、まことにて、わが
身
(
み
)
を
疑
(
うたが
)
う
事
(
こと
)
なくて、
来迎
(
らいこう
)
をまつ
人
(
ひと
)
は、これ
三心具足
(
さんじんぐそく
)
の
念佛
(
ねんぶつ
)
申
(
もう
)
す
人
(
ひと
)
なり。 この
三心具足
(
さんじんぐそく
)
しぬれば、
必
(
かなら
)
ず
極楽
(
ごくらく
)
に、うまるという
事
(
こと
)
は、
観経
(
かんぎょう
)
の
説
(
せつ
)
なり。 かかる
志
(
こころざし
)
ある
人
(
ひと
)
を、
阿彌陀佛
(
あみだぶつ
)
は、
八万四千
(
はちまんしせん
)
の
光明
(
こうみょう
)
を、はなちて、てらし
給
(
たま
)
う
也
(
なり
)
。
平生
(
へいぜい
)
の
時
(
とき
)
、
照
(
て
)
らしはじめて、
最後
(
さいご
)
まで、
捨
(
す
)
て
給
(
たま
)
わぬなり。
故
(
ゆえ
)
に
不捨
(
ふしゃ
)
の
誓約
(
せいやく
)
と
申
(
もう
)
す
也
(
なり
)
。
光明山摂取院 無量寺